主治医との面談

転院してすぐ主治医になる先生との面談がありました。この方は美人の女医さんでズバズバとストレートに物事を言う方であまり上司にはしたくないタイプです。
偏見かもしれませんが、女性というだけで受験の際に減点されたりするあの医者の世界のガラスの天井をぶち破って生き残っておられる方で、
そのオーラが漂っています。キビキビと素早く歩く姿は全身から稲妻が走っているのが見えるようです。僕は今でも苦手ですが、主治医として尊敬しています。
後に手のリハビリで促通をやっていた時、OTさんが「緊張が強くなりましたね」と言われて振り返ったら主治医がリハビリの様子を後ろから見ていたことがあります。ウソのようなホントの話です。
さて、面談の話に戻ります。「どれくらいで退院したいですか?」と言われたのでそんなこと聞かれてもなぁと思いつつ「早く良くして1ヶ月くらいで単身赴任先へ戻りたい」と言いました。
「1ヶ月は早いなあ。標準は3ヶ月ですね。単身赴任されていたのですか?それはちょっと無理かな。」と言われました。
すぐ元の職場に復帰できるかと思っていたのでショックを受けました。「どんな仕事をされていたのですか?」と聞かれましたので難しい質問だなーと思いました。
でもこの内容によって今後のリハビリが決まるかもしれません。勤めている会社の業界とか製品とかテレビCMについては話せるのですが、
僕自身の仕事内容については色々とやっていたので難しいところですし、ましてや元の仕事に戻れないかもしれないとなると微妙です。
いろいろ考えて「PCを使ったデスクワーク中心です。」と当たり障りのないところを言っておきました。
レポートをまとめたりCADで図面を引いたりプログラミングの真似事のようなことをしたりしていましたし、体が不自由になって恐らく仕事が変わってもこれは続くでしょう。
「車は運転されますか?」と聞かれたので週末は車で色々なところに家族で出かける事が多かった僕は「運転していたし、ぜひ運転に復帰したい」と応えました。
「車の運転については様子を見てOTでやっていきましょうね」と言われました。おっ、車の運転に復帰できるかもと嬉しくなります。
「その前に車への移乗ができるようになっておかなければなりませんね」もっともなことです。
そう言えば何故か?急性期の大学病院ではMRIは撮っていなかったので、MRIを撮ろうということになりました。
CTは撮っていたし、血液検査やその他の医療情報もDVDに焼いてもらって持参していたのですが、何故かMRIだけは撮っていませんでした。
これまで病気という病気にかかったことはこれまで無く人間ドックにも行ったことのない僕はMRIは初めてで(手術は昔バイクで事故したときに手首にプレートを入れたことはありますが日帰り手術です)、
うるさいと聞いていたのですが確かにガンガンと工事現場のような不快な騒音が聞こえます。閉所恐怖症の人には拷問かもしれません。
終わった後3DのMRI画像を見ながら主治医の説明を受けますが、画像を見て大きなショックを受けました。ひと目で素人にもこれはオオゴトだとはっきりわかるのです。急性期の大学病院で見たCT画像とは違い、
右脳の真ん中が白く輝き、あたかも大爆発を起こしたようになっているのです。「白いのは血腫です。CTと比べてMRIは大きく写りますからね。」と主治医は事も無げに言います。
急性期から手術を主張していた妻は「手術して取ってもらえませんか?」と聞きましたが主治医は「出血は多いことは多いのですが生命を司る脳幹にダメージがないので手術適用ではありません。手術すると健常な脳も傷つけてしまいますよ」
と急性期のドクターより更に詳細な説明をしてくれます。僕の出血量は30mlで、ギリギリ手術適用ではなかったようです。幸運だ、切らないで、切ることにならなくてよかった、と僕は思いました。
「この白いのはこれからどうなるんでしょうか」と聞くと、「免疫細胞に食べられます。5,6ヶ月ほどで無くなるでしょう。しかし脳は回復しないのでここは穴が開くと思います」と言われて再びショックです。
「穴はどうなりますか?」と聞くと「周りの大脳が縮んでそれとともに小さくなります」「それって脳全体が萎縮するってことですか?」と聞くと「ええ。」とこれも事も無げに言います。
うわー・・・と発症してから一番のショックを受けました。脳が萎縮するということは僕はどうなってしまうんでしょうか。ただでさえMRI画像で見た通りあんなにダメージを受けているのに。僕を僕たらしめている知性や自我はどうなってしまうんでしょうか。
変な話痴呆のような感じになってしまうんでしょうか。デカルトではありませんが、僕は考えることができるから僕なのです。
妻は僕の性格が変わってしまうのじゃないかと心配していたようです。幸いにも今の所発症前と変わっていないようですが・・・。
これも変な話ですが僕は某クイズ番組の予選(ペーパーテスト)を2回突破したことがあります(本戦には出たことはありませんが・・・)、
入院中は受け身のテレビではなく努めて本を読むようにし、試験勉強をし、外泊で家に帰った時はクイズ番組を見て家族に問題の解説などをしながら、
「まだ自分は残っているな」と自分を確認する日々が始まりました(今でも続いています)。
せっかくだからまたこのクイズ番組に挑戦してやろうと本気で思っており、予選会に再び応募しています。話題が逸れすぎました。
2回目の面談の時だったかと思います。主治医から「今は車椅子ですが、歩いて退院できるようになると思います」と言われました。
僕も喜びましたが、急性期の時「歩けないかも・・・」と濁して言われた妻は殊の外僕以上に喜んでくれたようです。
ただ手の方は麻痺が強く、「補助手を”目指す”」と言われました。あくまで”目指す”です。後になって補助手ってなんじゃ?と思いOTの先生に聞いてみたら、
「補助手にも色々ありますが、例えば買い物をする時財布を持っておく、とか、机で新聞を読む時新聞を押さえておく、とかそんな感じですかね。」と言われました。
「でも今はキャッシュレス決済もありますし、電子書籍もありますからね・・・」とOTの先生からは意味深なことを言われましたが。
その時は全く動かなかったのでそのようになれるだけでもと嬉しく思いました。そんな感じで主治医との面談は1ヶ月に1回のペースでした。
面談が少ないと思うかもしれませんが、毎朝のように病室に見に来てくれたりリハビリ室に様子を見に来てくれたりしていましたのでほぼ毎日顔を合わせていました。
聞かれることはいかにも日本人らしく毎日「お変わりありませんか?」です。変化がないのも困りものです。僕は「変わらず順調です」と答えるようにしていました。オバマ大統領のように「チェンジしましたよ(勿論いい意味で)」と答えたいものです。