新幹線で回復期病院へ

車で妻の実家に来ていましたが、僕は当然のこと妻も高速道路で家まで車の運転などできないので、
色々と妻と義母が策を練ってくれ、大変ですが新幹線で帰ることにしました。車については、業者に陸送の手配を取ってもらいました。
OTの先生が「新幹線は個室があるからそれを取るといいよ」と教えてくれましたが、この大学病院も転院先の回復期病院もこのような事態は初めてのようで、
OTの先生以外誰も何もアドバイスを貰えません。色々調べてくれてこの「ミッション・インポッシブル」とでも言うべき作戦計画を立ててくれた妻と義父母には感謝が絶えません。ドクターヘリでビューっと行くことができれば良かったんですが。
何しろ長旅です。始発の新幹線の時間に間に合うようにするため、車椅子付きの介護タクシーを早朝に来るように手配してもらい、駅まで介護タクシーで行き、新幹線ではJRの車椅子を借りられることになりました。

本格的に入院したことのない僕は”退院は病院スタッフに見送られながら涙してやるんだ”と勝手に思っていましたが、早朝なので当直の看護師さんが付いてくれただけで病院裏手の通用口から逃げるように退院した格好です。
介護タクシーは救急車のように立派で大型で、ドライバーは救命救急士の資格を持っており、かなり高額だったようです。
僕はタクシーで移動している時ぼんやりと”こんなときに健康保険の移送費って使うんじゃないのかな?移送費は自己負担が無く全額実費支給だよね”と、
社労士の勉強で健康保険法をやっている時に出てきて多分こんな規定は実際には使う場面は無いんだろうな、と思っていた移送費についてのことを考えていました。
余談ですが、あの試験は使いそうにもない規定や日雇労働者に対する保険給付など今の日本に当てはまる人はどれだけいるんだろうか?と思ってしまうような細かい問題が結構出るので厄介です。
移送費については病院の人も誰もソーシャルワーカーさんも含めて教えてくれませんでしたし、実際、ソーシャルワーカーも知らないくらいなので当てはまる条件とか手続きが物凄くめんどくさそうなので結局使っていません。
新幹線では、離れたところに住んでいる私の母も付き添ってくれ、車椅子の僕も含めて子どもを連れて一家で移動しました。子ども達は新幹線に乗れるということではしゃいでいたようです。
僕は全然知らなかったのですがOTの先生が教えてくれたように調子が悪くなった人のために東海道・山陽新幹線は横になれる個室(多目的室)があり、予約の際事情を話してその個室を取ってもらいました。僕は使わなかったのですが東北新幹線も編成によっては個室があるようです。
新幹線の車内では妻は”また発症したらどうしよう”というのと”トイレの介助は教えてもらったけど実際やることになったらどうしよう”という不安があったそうです。
幸いにも?トイレに行きたいということはなく、再び発症するなんてことも勿論ありませんでしたが、ずっと席に座っていた僕は腰が猛烈に痛くなり大変な目に遭いました。
発症する前であれば伸びをしたりすれば腰痛は収まったのでしょうが、この体幹がまだ定まっていない不自由な体ではそうも行きません。
何回も出張や帰省で目にした車窓からの景色を眺める心の余裕などありません。痛みを我慢しつつ早く着いてくれと祈るばかりです。入院して2,3日は痛みが取れませんでした。
やっと転院先の最寄りの駅に着き、手配した介護タクシーの運転手さんが改札口まで迎えに来てくれていたので合流です。家にも近く通勤で単身赴任する前までは毎日使っていた駅なので懐かしく帰ってこれたんだ、と喜びがあふれてきます。
タクシーで病院までの道中、脳がやられたので道を忘れてしまっているかもしれない、覚えているかなと不安に思いましたが見覚えのある道で安心しました。
妻は今まで一度も通ったことのない道で「家から車でこの道を通ってお見舞いに行けるのだろうか」と不安がっていましたが、自分なりに教えてあげることができました。
着いた病院は急性期の大学病院とは違い?比較的外観も中身も古くこぢんまりとした病院でした。総合病院ではないのでロビーも人はほとんどいません。
最初、入院の手続きは10時までにしなければならないと言われたようですが新幹線で数百キロ移動してきているのに始発で来ても10時に着けるわけなどありません。
ひと悶着ありましたがなんとか入院することができました。病院の人ならば、ましてや受付ならば法律やルールを守らなければいけません。頭が固いのは当たり前ですが、今後がちょっと不安でした。