発症

2019年4月30日のことでした。妻の実家でのことです。
結婚してから、GWや年末年始など大型連休は中国地方にある妻の実家と東海地方にある私の実家に車で帰省するのが定番行事でした。
発症の前兆はありませんでしたが、最近の健康診断では血圧が高めと言われ「薬を飲むほどではないが様子見だね」と産業医には言われていました。
前兆といえば、出発する直前に妻から「体調は大丈夫?」と何度も聞かれたり義兄から「toro君顔色悪いみたいだけど大丈夫かい?」と言われたことくらいでしょうか。
自分では体調が悪いとは全く感じなく「何でそんなこと聞くんだろう変だな」と思っていました。その時病院にかかっていても結果は同じことだったでしょう。
前の晩に妻と「明後日から令和だね~ゆく年くる年みたいな番組やるみたいだね見よう」などと呑気な会話をしていたことを覚えています。
30日は朝5時位に起き、持ってきていたPCでメールチェックをし、早朝からやっている近所のうどん屋に行ってみようと、
部屋を出て2階(妻の実家に泊まるときは妻の住んでいた2階の部屋で親子で寝ています)から階段を降りた時のことです。
左足が動かない、おかしいぞ左手もだ・・・と気づきました。よくクモ膜下出血で”頭を殴られたような頭痛”という人がおり、友人にもクモ膜下出血を発症した人がいてその人は首から肩にかけてがものすごく痛かったようですが僕はどこも痛くありませんでした。

あと3段ほどで1階に降りられるような、まさにその時でしたので幸いにも階段を落下することはなくその場で尻餅をついたような感じでした。
「誰か助けて」と大声を出したつもりでしたが声が出ません。蚊の鳴くような声で助けを求めているとしばらくして妻が起きてきました。
脳梗塞かもしれない、時間勝負だはやく救急車を呼んで」と妻にお願いしました。
脳梗塞だと思いこんでいましたし脳梗塞ならば早く治療する必要があることを知っていました。
妻は救急車など呼んだことがないのでどうすれば良いかわからず困っていたようですが、そのうち義父母も起きてきて義母が119番をして救急車を呼んでくれました。
妻によると麻痺により顔の左半分がだらりと垂れ下がり口角が上がっていなかったようで、これが声が出なかった原因だと思われます。(現在も大きな声を出すことは苦手になってしまいました。)
義母が「サイレンは鳴らさないで来てください」と電話口でお願いしていたのを覚えています。
そのうち救急車がサイレンを鳴らしてやってきました。「結局サイレン鳴らしちゃったな、近所から野次馬来ちゃうな」と思いました。
手足が動かず声も出ないのですが妙に意識ははっきりしており、担架で運ばれながら
脳梗塞なら大事になってしまった、意識はあるから死なないだろう。入院しても全然使っていない有給と保存休があるからお盆休みくらいまでは給料出るだろう。その後は健康保険の傷病手当かな?」
とかそんなことを考える余裕はありましたし意識もしっかりしていました。救急隊員の方の「手を動かしてみてください」「お名前は?」「生年月日は?」の問いにも答えることができています。
救急隊員の方が受け入れ可能な病院を問い合わせてくれています。僕は幸いにもSCU(Storoke Care Unit:脳卒中ケアユニット)のある大学附属病院に入ることができました。
義母が「あそこだったら安心」と言っているのが聞こえます。何度も書きますが、本当に意識はしっかりしていました。

こんな感じで記憶の限り、またずっと書いてきたメモを参考にblogを始めてみようと思います。