急性期病院のこと4

リハビリは理学療法(PT)と作業療法(OT)と言語療法(ST)がある、と僕たち家族に説明がありました。その時はそんなものか、と思いましたが後から思ったら急性期でもこれだけあるのは珍しいかもしれません。
PTはベッドサイドで理学療法士さんが手足を動かしてくれます。そのうちPTの部屋に看護助手さんが車椅子で押して行ってくれ、歩行訓練が始まりました。
まるでロボットのような足をすべて覆う金属製の長下肢装具をつけ、平行棒の間で男性の大柄なPTさんが後ろから支えてくれています。
歩き方を全く忘れてしまったような感じで麻痺した左半身のみならず全身が言うことを聞きませんが、すこしずつ歩みを進めます。
大きな杖というか脚立?を使って歩くことがなんとかできましたが、支えられていないと倒れてしまいます。
OTはベッド(プラットホーム)に寝て手の運動がメインでした。年配のベテランの男性OTさんが担当でした。
先述した通りなぜか眠いのでリハビリ最中でもよく眠ってしまっていました。真剣にやって早く良くなりたいのですが。
「本当は車椅子の使い方を教えるんだけど、車椅子はすぐ卒業してもらいたいから教えない」と言われました。その時はなるほどと思いましたが、後から考えると変な話ですよね。
車椅子の移動は片手片足使いなので色々なところにぶつかってしまいますが、そのうち自分で会得してしまいました。
右手だけで車椅子を漕ぐと当然曲がって行ってしまうので、右足を利用して適宜方向調整を行いながら進むのです。
よく左側をぶつけてしまっていたので、「半側空間無視があるね」と言われました。左側は見えているのですが何故か気づきにくいのです。
そういえば食事の時もトレーの左側においてあったヨーグルトのカップが急に出てきてびっくりしたことがあります。見えているのに気づかないのです。
これが続いていたら車の運転とか危なくてできないなーと思いました。
車椅子での移動は教えてもらえませんでしたが、移乗は教えてもらいました。椅子やプラットホームから/への乗り移りです。
最初は大変でしたが、コツを掴むとそのうち身軽に移れるようになりました。
このベテランOTさん(実はこの大学の作業療法の教授でした)は非常に楽しくしかもノリの良い方で、僕が「看護師のAさんいいですね」って言うと「Aさんファン多いよねー僕はBさん好きだけどなーそうだAさんの載ってるパンフレットあげるよ」とパンフレットをくれたりしました。
年配の方ですが大学で若い人に毎日接しておられるからでしょうか、いつも溌剌としておりノリも良かったですが、でも教える内容はさすがOTとして全て網羅しており、妻にトイレの介助や移乗の介助なども教えてくれていました。
妻も真面目にスマホでビデオに撮ったりして勉強していました(幸い使う機会は無かったですが)
僕も下の世話を妻に介助してもらうのは恥ずかしいから勘弁したいなと思いながら頑張ったので、急性期病院で身の回りの動作はほとんど身につくことができたかと思います。回復期病院のOTでは床からの立ち上がりやお風呂での動作を習った程度です。
あと、どこそこで蓮の花が満開になった、とか季節の移ろいを紹介した新聞記事を見せてくれたりしていました。文章を読みその内容を復唱する訓練でしたが、病院の外に出ることができなかったので季節を感じることができこれは嬉しかったです。
言語聴覚療法士は若い男性でした。この病気になるまで、不勉強にも言語聴覚療法士というお仕事があることを知りませんでした。
発声練習がメインで、ゴム手袋をつけて唇や舌の動きを良くするマッサージ?などをしてくれました。
この病院のセラピストさんは皆親切で真面目で、僕を病人としてではなくきちんと社会人として、パパとして、そして一人の人間として扱ってくれたので復職への頑張りにつながったと思います。
この頃ドクターとの面談で病状を聞く機会があり、CTの画像を見せてもらいました。
大脳の運動野から伸びる神経を血腫が圧迫し壊しています。と言われました。この時はそんなものかと思いましたが大変なことです。
あと、ドクターには「足の痙性がひどいですね・・・」とよく言われました。痙性と言う言葉を知らず「京成?」と勘違いしていました。
車椅子に乗っていても、ちょっとした振動でスイッチが入り貧乏ゆすりのようなガクガクとした痙攣が勝手に始まり止まらなくなるのです。
よく上の子が見舞いに来てくれた時押さえてくれていましたが止まりません。結局回復期病院に移ってしばらくしてから出なくなったのですが、この足のガクガク(クローヌス)にはしばらく悩まされました。
この当時、こんな状態では復職どころか社会復帰すら覚束ないなーと悲しくて涙が出るような状態でした。僕は元々涙もろいのですが、病気の影響か更にひどくなりました。
転院する前に許可をもらい病院の屋上庭園に妻に車椅子で連れて行ってもらいました。発症以来外に出ていなかったので初夏のむせ返るような緑の匂いが懐かしく、手入れの行き届いた大変素晴らしい庭園でしたが、
デザイン上ちょっとした坂が多く妻が手を離すと転げて屋上から落ちてしまいそうで怖かったです。車椅子ではなく自分の足で歩かねば、という思いを一層強くしました。

妻と子どもたちが頻繁に見舞いに来てくれました。子どもたちは学校や保育園を休んでいますが、

義兄の家(つまり子どもたちからすると従兄弟の家)で遊んでもらっていたようで楽しそうにしています。無邪気なものですが、生活が僕のせいで破壊されてしまっています。早く良くなりたい、元の生活に戻りたい、と心から思いました。