主治医の変更

色々と書きたいこともあるのですが少しずつ書いてゆくことにしましょう。

さて、今日は回復期病院での3ヶ月に一度の定期検診でした。

入院しているときからずっと診てもらっていた主治医の先生は別の病院に移られてしまったという話は前にしましたが、今日が主治医が代わって初めての検診です。

待合室で質問事項など想定問答集を反芻した後、人は第一印象が重要なので入室と同時に自己紹介(といっても名前くらいですが)します。お目にかかるのは初めてですが、若いスポーツマンタイプのにこやかな男性の先生でした。前の先生みたいに美人の…いやいや、病院のHPで名前を確認していたので、「〇〇先生、今後とも宜しくお願いします」と先手を取ります。

後は淡々と、いうかきちんと引き継ぎがされているようで前の主治医と変わらない感じで進行してゆきます。

前の先生との違いの質問で根掘り葉掘り聞かれたのは「ボトックスやりましょうか?」と「痛みは大丈夫でしょうか?」ということでした。

ボトックスについては前の先生に色々聞いていたので、「暖かくなってから調子良いので今の所必要ない感じです。ボトックスで痙性が和らぐと逆に歩きづらくなる場合もあるんですよね?」と聞いてみるとそのとおりで、「toroさんは腕も固まってないし、歩様も見た診た感じボトックス必要なさそうですね」ということで決着しました。痛みについては、僕は痛みはなくしびれのほうがあるので伝えたところ、「toroさんは被殻出血ですよね。感覚を司る神経が一杯通っているところなので…我慢できないようだったらリリカを試してみますか?」とこのことでしたが我慢できないほどでもないので処方してもらいませんでした。なので薬もアムロジピン、ベザフィブラート、ギャバロンで変更なしです。

最後に気になっていたことを聞いてみました。「コロナのワクチンはどちらの腕に打ったほうが良いのでしょうか?」もうすぐ職場で接種が始まりそうなので…。

「麻痺側でも良い方でもどちらの腕でも構いませんよ。あ、腕が上がらなくなる人もいるから麻痺手のほうが良いかな?」とのことでした。確かに良い方の腕が上がらなくなったら大変です。

こんな感じで主治医が変わってから初めての検診は終わりました。近々で障害者手帳の更新(のための診断書)、ちょっと間が空きますが障害年金の更新(のための診断書)も控えていますのでこの主治医とは良好な関係を築けると良いなあ、と思います。

僕が僕であるために

今日はテレワークでした。コロナ禍ですがうちの会社はずっとテレワークというわけではなく、ハンコを押したり回ってくる書類の受付をするために会社に行っている感じです(だいぶ電子印に変わりましたが)。

家から会社まで車で20分くらいなのですが、テレワークの日は朝仕事を始める前に散歩したり庭の草花の手入れ(水やり程度ですが…)をする余裕があります。

そのときにいつも考えているのが、「脳が縮んでしまったら、僕の認知機能はどうなってしまうのだろう?」ということです。

回復期病院で主治医と一緒にMRIを見たとき、「出血により脳に開いた穴は脳自体が縮んでふさがります」と言われましたし、

TMSで通っている脳神経外科でも「出血した右脳は萎縮します」と言われました。

脳が萎縮?それってものすごくヤバいことじゃないですか!

TMSで通っている脳外科の先生に聞きました。「僕はどうなってしまうのでしょうか?認知機能は?」

先生は「今高次脳機能障害が無ければ今後も大丈夫だと思いますよ。でも右脳だから芸術方面はどうかな?絵の仕事とかされていないんですよね。だったら大丈夫」と言いました。

それは喜んでいいのか悪いのか…CADで図面書いたりする仕事は今もやってますし、美術館巡りやクラシック音楽も好きなのですが。

バーゼルの美術館でハンス・ホルバインの「墓の中の死せるキリスト」を見たときのような、あの凄まじい衝撃はもう無くなってしまう、ということなのでしょうか?

右脳がやられると遂行機能障害(物事を順序立てて処理できなくなる障害)になる人が多いとかで、回復期病院では臨床心理士の先生に遂行機能障害のテストを散々やりました。

その時の見立ててでは、「toroさんは間違えたら戻って考えられるから大丈夫」とのことでした。そのときはそんなものかな、と思いましたが、今思うとそんなのチンパンジーでもバナナを取るときにやってるじゃないですか!

今仕事していても、家庭でも、遂行機能障害による注意は受けていませんが、実際発生していても見逃されているだけなのかも…と思うと背筋が寒くなります。

脳血管障害、というのは認知症の原因の第二位なのだそうです。

僕が僕でなくなってしまったら、どうなるのか。麻痺の改善以上に気になります。同じ病気になったみなさんは気にならないのでしょうか?とりあえず毎日画集(宗教画)を見たりクラシック音楽を聞くリハビリ(?)をすることにします。

心のバリアフリー

ある車椅子ユーザーのブログが話題になっています。

私も読みましたが、この方はハードルを自分で高く上げすぎてしまっているのかな、と思ってしまいました。

色々思うところはありますが、一番気になったのは

「健常者は駅を事前に調べる必要がない、身障者は調べる必要がある、障害者差別だ」

というところでしょうか。僕は(障害を負う前から)旅行に行くときは事前にいろんなことを調べていましたし、どのルートをどうやって通ったら一番効率良く回れるか、もしだめだった場合の次善策はこんな感じ、その次善策がだめだったら・・・、といったことを当たり前のようにやっていましたし、今も色々考えてやっています。

事前に色々調べておくことってあたり前のことじゃなかったんですね。

僕は旅行は計画している時点が一番楽しいと思っています。実際の旅行はテストの答え合わせをやっているようなものです。海外旅行もパックは使ったことはありませんでした。

この車椅子ユーザーの方は色々こじらせてるなあ、バリアを高く上げてしまっている、心のバリアフリーが必要なのはこの方じゃないのか、と思ってしまいます。

確かに車椅子ユーザーの方の日常の苦労は私のように中途半端に歩けてしまっている者からはわからないところが多々あると思いますが・・・。

何でしょう、このもやもやした感じは。

TMS

TMS治療のために回復期から通ってる病院とは別のクリニックに行っているという話は何回か書きましたが、通いだしてから1年経った今でも仕事が休みの毎週土曜日に通っています。


最初の診察のときクリニックの先生は「効果が出るのは人によるけど50~100回くらいかなあ」と言っていましたので50回やった(あんまり数えてませんが1年経ったので50回くらいでしょう)ときに先生に言ってみたら、「MRIで見てみましょうか」ということでMRIを撮ってきました。


MRIの予約が取れた日は代診の先生だったのでクリニックの先生ではなく聞けなかったのですが、ワーラー変性の具合はどうでしょうか。代診の先生は「新たに問題になるようなところはない」との診断でしたが、問題があったら大変です。両片麻痺にでもなってしまったらどうなってしまうのでしょうか。

 

さて、前に書いたときはちょっと詳しく書けなかったTMSのことを書きたいと思います。TMSは正式にはrTMS(repetitive Transcranial Magnetic Stimulation)の略で、日本語にすると反復経頭蓋磁気刺激と言い、電気刺激の届かない脳の奥深くに磁気による刺激を与え、脳の神経細胞をどうにかしてやる、というものです。

 

このクリニックではTMSをやっている人は片麻痺の人が多いのですが、最近TMSがうつ病の治療で使われているらしく、このクリニックでも片麻痺ではなさそうな若い人も受けに来ています。そのため、TMSの予約が取りづらい状況になってきています。


最近、歌舞伎役者の中村福助さんが慈恵医大の安保教授のところでTMSを併用したリハビリで見事舞台に復帰した、というニュースがありました。

“悲運”の歌舞伎役者・中村福助 脳出血からの復帰 「奇跡は起こる」 息子・児太郎が初めて語ったこと(テレビ朝日系(ANN)) - Yahoo!ニュース
このことがありますます予約が取りづらくなっちゃうんじゃないか、と危惧しています。

 

それで、肝心の僕のTMSの効果ですが・・・はっきり言ってよくわからない、というのが僕の感想です。確かに麻痺した左足はよく上がるようになり歩幅も大きくなり歩行スピードは向上した、と同僚も言っています。しかし装具は外せません。左手も肩より上に上げて頭を触れるようになりました。しかし手を自発的に開いて物を掴みに行くことはできません。


このクリニックではリハビリをやっていないので、僕の場合はTMSをした後は自分で半日ほど自己流のリハビリをしています。中村福助さんは慈恵で入院してTMSをしながらしっかりリハビリをしているようなので、効果が上がっているのかもしれませんね。そもそもTMSの効果は、TMSをしていない場合と比べようがないのでなんとも言えない、というのが実情です。

 

さて、MRIで見たワーラー変性の具合ですが、1年前とべて進行(神経が萎縮)していました。悲しいことに。でも予想されていたことなので仕方有りません。先生は言います。「toroさんは腕も上がるようになったし歩行も良くなった、若いしこれからも時間がある。TMSを続けて頑張りましょう。」更に続けて先生は「今効果がありそうな脳血管疾患の治療方法はリハビリ、TMS、幹細胞。幹細胞も許可をもらったので今度始めるよ!保険適用外だからちょっと高いけど。」と言っていました。
先生に騙されているのでしょうか(笑)

 

幹細胞治療の値段も聞いてみましたが払えなくもないなあ、と思ってしまいました(笑)僕は眉唾だと思っているので踏み出せませんが。
幹細胞治療の体験記とかブログに上げてる人はいませんかね?

卒業

お久しぶりです。本当はTMSのこととか身近な人がコロナにかかったことを書こうかと思ってて、ほぼ出来上がっていたのですが、別の記事になります。
土曜に下の子の保育園の卒園式がありました。
1歳半まで歩けず、4歳までまともに喋ることができなかったこの子の卒園には色々思うところがあるのですが、
ほぼ同時に主治医(何回も書いてますが妙齢で美人の(?)女医さんです)が病院を卒業しちゃいました。
先週の3ヶ月毎の定期検診のことです。
「toroさん、実は3月末で別の病院に移ることになりまして…。」
「私もサラリーマンだから転勤があるんですよー(本当か?)」とのこと。
この先生に対して最初はすごく反感を抱いていたことを思い出します。でも振り返ってみればすごく親身に色々対応してくれました。
入院していたときはリハビリの様子を毎日見てくれてましたし、通院リハビリに変わってからもその都度リハビリルームまで見てくれていました。
復職の際は会社に復職のための診断書を書いてくれましたし、障害年金を貰えるようになったのも先生の書いてくれた診断書のおかげだと思います。
「えっ、先生に見てもらいたいしどこでもついていきますよ」と言ったら「うれしいけどストーカーですか?(笑)」聞いてみると結構遠く、これは通えません。
「toroさんには色々勉強させてもらいました」と言ってくれました。本当かな?嫌な患者だっただろうなぁ…。
「どうしましょう?この病院に通うこともできますし別の病院行くなら紹介状書きますが?」とのことです。
TMSの病院にすることも考えていましたがそっちの先生には全く話をしていなかったので、「どうしようか相談したいんですが…」と言ってみたら、
「もちろん後任にはきちんと引き継ぎしておきますし、手帳と年金の更新の際は抜かりないようにしておきます」と言ってくれましたので、
この病院に通うことに決めました。さて後任の先生はどんな人でしょうか。いい先生だといいんですが。

障害年金の申請③

昨日コストコに行った帰りに家族でとあるチェーンのラーメン屋さんに行ったときのことです。子どもにおもちゃがもらえるのでたまに行きます。
この手のラーメン屋は個別の席が確保されておりソーシャルディスタンスが保たれています。
僕は以前はラーメンが好きでこれが脳出血を発症した一因ではないかと妻には言われているのですが、倒れてからあれだけ好きだったラーメン屋にもあまり行かなくなりました。
意識的に避けているというのもあるのですが、食べても味の濃いものはあまり美味しいと感じません。
病気の影響で味覚が変わったのでしょうか?
このラーメン屋では有線であいみょんの「ハルノヒ」が掛かっていました。
この曲は以前単身赴任先の住居と家を週末に行き来していたときよく聞いていた曲で、
そのことを思い出して泣けてしまいました。
家族の幸せを願うお父さんを歌ったいい曲だと思います。あいみょん若い女性なのにたまにおっさんみたいな歌詞を書きます。
もともと涙もろいほうですが、病気してからひどくなりました。妻は歳のせいだと言いますが…。

 

そんなことはさておき、障害年金申請の話の続きです。前回までは長い前ふりで、今回は最後の実際の申請の話をします。
戸籍は僕の実家の所在地になっていますが少し遠いので、郵送で取り寄せることにしました。
実家の市のHPを見ると、市役所に代金(定額小為替)と返信用封筒と免許証のコピーと「障害年金の申請に使うので戸籍謄本送ってください(実際はもっと丁寧です念の為)」と書いた紙をを入れて送ると戸籍謄本を送ってくれるようです。
2周間ほどで戸籍謄本が送られてきました。
戸籍謄本と戸籍抄本は違うんですね。初めて知りました。
障害年金の申請に使う公的書類は無料で取れる、と教科書には書いてあったので、もしかしたら定額小為替はそのまま返送されるかも、と思いましたがそんなことはありませんでした。
障害年金専門の社労士にお願いするとこんなこまごまとしたこともやってくれるようです。

 

10月30日が認定日ですので、その日に合わせて主治医に診断書を書いてもらいました。
ちなみに診断書の日付は認定日以後3ヶ月であれば良いようです。
主治医はさすがプロで、テキパキと診断書を作ってゆきます(診断書のフォーマットをわざわざ持って行かなくともパソコン内にフォーマットが用意されていたようです)。
「手を上げてみてください」「手のひらを上に向けられますか?」「足を手前に引いてください」「つま先は上げられますか?」と細かく言いながら、主治医は分度器(?)のようなもので測定してゆきます。
最後に主治医から「toroさんの現在の肢体の状態を医師として客観的に記述した上で、障害年金をもらうための診断書を書きます。読んでショックを受けないでくださいね。」と言われました。
15分くらいの診察でしたが、仕上げるのにちょっと時間がかかるようで、後から郵送で送られてきましたが、主治医の「ショックを受けないでくださいね。」の理由は見て納得です。
「左手は廃用手に留まり」「廃用手」と「廃用」「廃用」そしてできることの欄には左手だけできの悪い通知表のような「×」のオンパレードで、「予後」欄には「今後改善の見込みは極めて乏しいと考える」と書いてありました。
想定の範囲内ですがちょっとショックです。でも不便なだけで不幸ではないと僕自身は思っていますので問題ありません。
不便をお金の力で解決する、そのための障害年金です。

 

病歴・就労状況等申立書(以下申立書)、これが診断書と並んで重要な書類になるようです。
ググると色々例が出てきますので(便利な時代です)、それを参考にしながら、時系列順に発症から現在までの身体の状況、どんな治療や診断、リハビリを受けたか、復職してどんな仕事をしているか、を書いてゆきます。
僕の場合はPCで日記をつけていたので楽でした。これをまとめるだけです。
色々調べると認定日にリハビリをしていると回復の見込みありということで認定は難しいようです。
ポイントですが、病名は診断書に合わせること、診断書ではわからない日常生活・仕事での不便さを訴えることでしょうか。
あとは独りよがりの文章にならないこと、できるだけ数字で客観的に示すこと(歩行速度が大幅に低下じゃなく50%低下とか)、会社で受けたロジカルシンキングセミナーで習った、MECE(漏れなく、ダブりなく)を意識して書きました。
最後に妻に読んでもらって理解できるか、論旨が通っているかをチェックしてもらって完成です。
会社の昇格論文を書いていたときのことを思い出してちょっと楽しかったです。
こういう論文(?)は第三者の赤の他人(妻)が読んでも膝を叩いて理解できるように書かなければなりません。

さて、書類を揃えて提出する目標の日が10月30日でしたが、「そういえば診断書は郵送するって言ってたけど、コロナ禍だけどあの病院は暇そうだし(失礼)10日位あればできるだろう」と思い直し、11月初旬に年金事務所に申し込みに行くことを決め、予約が取れた日に年休を取りました。
病院から診断書が郵送で届いたのが5日前でしたがセーフです。
診断書と申立書の病名(脳出血(右被殻))を合わせ、申立書の内容が診断書と矛盾がないか最終チェックしてからA3両面印刷して完成です。
日本年金機構のHPからダウンロードしたフォーマットはエクセルで、表面と裏面でシートが2つに分かれているのですが、こういう2つのシートをエクセルで両面印刷するのは初めてです。しかもこれが片手が不自由だと非常に難しい。
(今思い起こせば同一シートにコピーして普通に両面印刷すればよかった・・・。)

 

この回の窓口担当は最初に年金事務所に行ったときのいかにもカタブツのお役所にいそうで腕カバーが似合いそうな冷た…もといクールな女性の方でした。
いろいろな書類を言われるままに出しながら「妻や子どもの加給年金の支給要件をチェックするための書類などは必要ないのですか?所得証明書一応持ってきたのですが」と聞くと、(妻や子どもに所得が850万円以上あると加給年金は停止されます…。)
「はい、初回にお伝えした書類以外は不要です。マイナンバーが日本年金機構に登録されれば市町村と連携が取れますので。」と言われました。
子どもはまだ小さいので所得があるはずもなく不要だと思いますが、妻の場合は税理士で家で仕事をしていますので一応必要かと思ってもらっておいたのでしたが全くの杞憂でした。
確かに申請書にマイナンバー書いたよな、マイナンバー大活躍です!でもなぜか基礎年金番号も必要です…。不思議ですね。役所の縦割りがあるのか無いのか良く分かりませんね。
厚生労働省財務省は仲が悪そうですが…。

社労士だけど障害年金を全くやったことのない義母は「障害年金の書類出すときは窓口の担当者はいちいち奥の上司の所に行って確認したり窓口に戻ってきたりを都度繰り返すからものすごく時間がかかるらしいよ。1日覚悟しておいたほうがいい。」と言っていましたが僕の場合は(というかこの年金事務所の担当の場合は)そんなこともなく一人で無言で黙々とチェックしていました。
まず初診日の書類(”受診状況等証明書”)をくまなくチェックされ、診断書と申立書を左右に並べてそれこそ穴が開くほど比較して見つめられ、全くの無言でチェックされました。
銀縁眼鏡の向こうで目がギラギラと輝いています。こんなに書類をじっと見ている人は今まで生きてきた中ではいないと断言できます。プロ中のプロ。それくらい鬼気迫る迫力でした。
前回の社労士さんのように和やかな雰囲気は全くありません。少しでもアラがあったら問い詰めてやろう、という気迫がアリアリです。証人喚問、査問委員会、異端尋問、…。そんな言葉が連想されます。
いくつか質問されましたがその中で一番気になったのが、申立書を見て一言「車を運転されているんですね。」と言われたときドキッとしましたが、「はい、主治医と公安委員会に許可を頂いて運転しております。職場への通勤に使っております。」と正直に答えます。

 

「私の見る限り申請書類に不備はないようなので受付します。」と言われ、受付印の入った書類をもらいました。

おっ、一発オッケーか。胸をなでおろしてほっとします。

「でも、これから私がもう一度チェックしますし、今後私の上司のチェック、そして本部のチェックが入りますので何らかの疑義が生じた場合書面にてお問い合わせする場合もあります。」
と言われ、怖いな!、けどまあそうだろうなと納得します。
「電話では基本ご連絡しません。書面にてご連絡します。」簡潔ながらも有無を言わさない迫力があります。
「支給決定まで現在4ヶ月ほどお待ち頂いているようです。」実際は1ヶ月半でしたが。
「えっ、そんなにかかるんですか?」
「はい。老齢年金ですら現在3ヶ月ほど掛かっているようです。」コロナだし仕方ありません。日本年金機構の本部職員の方がテレワークをしているのか知りませんが、テレワークで紙の申請書類見るの難しいし。でも1ヶ月半でした。
これまた僕は現在でも日本年金機構内はサボタージュが横行してると勝手に思っていました。すごい業務効率化、すごいスピードです。労使の密約でキーボードで1日5000字以上打っちゃだめなんじゃないのか!
ここまで僕は日本年金機構について散々悪口を書きましたが、すみません僕の認識が間違っていました。
ここに謝罪して訂正します。
かつての社会保険庁とは全く異なるすばらしい組織に生まれ変わりました。末端のこんな場末(失礼)の年金事務所の窓口担当でも十分にプロ意識を持って仕事されています。
「車を運転しているんですね?」と聞かれたときこれは不支給か?と思いましたが大丈夫でした。
今更ながら「障害年金を受給するための診断書を書きました。」と断言した主治医は本物のプロでした。本当に感謝しています。
今回、窓口担当の方はじめ日本年機構の職員の皆様のような本物のプロはこの世界の至るところにいるんだなあと改めて実感しました。
僕の会社でもすごいプロフェッショナルな方はもちろんいるのですがおしなべてプロではなくオラオラ系の声が大きい方が出世するようです。
あっ、診断書も素晴らしいけど自分で書いた申立書の出来栄えがちょっとは良かったのだろうと密かに自画自賛しています。

 

これで障害年金の申請から受給までの話は一旦終わりです。障害年金の等級は「2級15号」で認定されました。
廃用手ですので、上肢の障害である「8号」かと思っていましたが、その他の身体障害である「15号」で認定されています。
装具をつけないととても歩けないので、上肢下肢のトータルで認定されたということでしょうか。
また、逃げ口上になってしまいますが、これを見て「ようし、こいつができるならいっちょ自分でやってみようか」と思われた方にはあまりおすすめしません。
素直に障害年金専門の社労士に相談されたほうがいいと思います。
僕の場合色々運がよく受給できただけにすぎない、と思っています。
3つの条件、主治医がきちんとした診断書を書いてくれたこと、初診日がきっちりわかっていて書類を簡単にもらえたこと、障害年金の要件のみならず法律の条文も社労士の勉強で死ぬほど読み込んでいて窓口の申込みの本番でもアドリブが効いたこと(もちろん、ここで書いてないこともいっぱいありました)が功を奏したと、が良かったと思っています。
妻は「社労士になるなら障害年金も扱う社労士もいいかもね。自分で障害年金を受給してるって言ったら結構なセールストークじゃない?」と言ってくれますが、
きっちり数字とできるできないの◯×で判断する身体障害とは異なり、数字で表すのが難しい精神障害も扱わなきゃいけないしものすごく大変だよなぁと思っていますのでその道は現時点で考えていません。
そう考えると障害年金専門の社労士の2ヶ月分の成功報酬って物凄くバーゲンセールだと思います。

 

次回の診断書の提出期限は3年後です。主治医もいつまでも見てくれるか分かりませんのでぼちぼち探し始めたいと思いますが、どう探せばいいんでしょうか?TMSをやってる脳神経外科の先生にお願いしてみようかな?

ちょうどこれで5000文字くらいです。昔の社会保険庁の労使の密約によるともう仕事はしなくて良い(しつこい)ので、年末年始はのんびりと過ごします。

障害年金の申請②

今日は朝からコストコに年末年始用の買い出しに行ってきました。

火曜日と金曜日の朝8時~10時までは65歳以上の方と障害者のみしか入れず、

コロナを気にせずゆっくりお買い物ができるのです…と思っていたらどうも年末年始は違うようです。

僕と同じくあてが外れたのか車椅子やお年寄りの方を多く見かけましたが通常通り若い家族連れが多く、密でしたので早々に退散しました。

コストコはこの火曜と金曜のハンデ専用デーだったり障害者雇用という区分がなく全部同じ賃金ベースという話で、障害者に優しい素晴らしい会社だと思うのですが、…。

 

さて、気を取り直して前回の続きからです。

年金事務所から必要な書類を指示されたので、書類集めのクエストの始まりです。
まず”受診状況等証明書”を持って来いとの指示なので、そちらを最優先します。
遠い妻の実家の近くの大学病院に担ぎ込まれたのですがこのコロナ禍ではとうてい取りに行くことも叶わず郵送で取り寄せることにします。
電話して料金を聞き現金書留で年金事務所からもらった”受診状況等証明書”のフォーマットを同封して送ります。
実はこの大学病院で僕を見てもらっていたドクターは大学病院の医局のFacebookのページを見るともう退職されているようで、果たしてこの”受診状況等証明書”を書いてもらえるのだろうかと一抹の不安がありましたが、そのドクターの上司の教授名で書かれ捺印された”受診状況等証明書”が3週間位してきちんと届きました。
カルテがまだ残っているのですから当然ですよね。カルテの保存期限は社労士の健康保険法の勉強で出てきます。5年です。
こういう知識があると「社労士の勉強しておいてよかったなあ」とつくづく思います。
でも初診日が5年より前の人はカルテが破棄されていても文句が言えないのでけっこう大変なようです。ここで障害年金に詳しい社労士の出番です。
カルテ以外の方法で初診日を証明する方法があるようです。冒頭で僕は社労士に頼らないと言いましたが不安な方は思いっきり頼った方が良いでしょう。
余談ですが僕を担当していたドクターのみならず担当の看護師さんも同時期に退職されていたようで、「駆け落ちしちゃったのかな?」とか下らないことを妻と話していました。
どうでもいいことですみませんが、一度お礼に行きたいねと妻と話していたので大変残念でした。
名前を検索しても今の所出てきませんしわかったとして勤めている病院にいきなり行っても不審がられることでしょう。

 

さて、主治医の定期検診で年休を取った日にその”受診状況等証明書”を持って年金事務所に再訪しました。
その日の午前の診察では主治医に障害年金の申請手続きをしていることを伝え、「次回の診察の予約を障害認定日(10月30日)にしたい、そのときに診断書を書いてもらえませんか?」と聞くと快諾してくれました。
主治医との良好な関係がここに結実しました。ゴマをすり続けた甲斐がありました(くれぐれも言っておきますが袖の下を渡したわけではありません)。
午後に予約を取った年金事務所に行き、ケルベロスのおじさんに「◯時から予約しているtoro(本名)です。」と言うとすんなり通してくれました。
この日は定期検診なので日にちが予め決まっており、事前に年休申請しているので1ヶ月前にしなければならない年金事務所の予約もスムーズでした。
さて、今回の窓口担当の方は前回とは違う女性の方で、見るからにカタブツそうだった前回の方とは異なりいかにも物腰が柔らかく、差し出された名刺を見ると「社会保険労務士」とありました。
「おおっ、僕も社労士の勉強してるんですよ~。」とは絶対言わず、神妙にして畏まって受け答えに慎重の限りを尽くします。
担当者は前回と違いますが、過去の社会保険庁時代の反省かちゃんと内部で引き継ぎがされているようで、「”受診状況等証明書”を持ってきました。」と言うと文面をきちんと確認してくれました。
「うーん、これ、印鑑がシャチハタですねwでもきちんと自筆だし電話番号も書いてあるしいっかな~♪」と言う感じのノリで話される方でしたが、「はい、オッケーです。」大丈夫なようです。
「そっか、脳出血でしたか。大変でしたね~。で、今は復職しておられる、と。でも大丈夫ですからね~、障害年金が出たら無理して働かなくてもいいですからね~。」と言ってくれました。
いえいえまだまだ子どもも小さいし働きますよ、勤労は日本国憲法で定められた国民の義務です。手帳で色んなサービスを受けている分きちんと納税したいし、厚生年金保険の保険料をきちんと払って将来の老齢厚生年金を増やしたいし。
ちなみに65歳からもらえる老齢厚生年金と障害厚生年金は併給できません。どちらか選択ですが、僕のように比較的若くして障害を負った場合は老齢厚生年金より障害厚生年金のほうが額が少ない場合が多いのです。
しかし、社労士ってこんなに優しいのか、困っている人に寄り添う職業だなあとつくづく思いました。義母もたまに厳しいことを言いますが根は本当に優しいのです。よし、社労士になろう。なって恩返しするぞ。頑張るぞ。と改めて思いました。
(1ヶ月後に社労士試験でしたがその結果は…。)
肢体の障害用と書かれた診断書のフォーマットをもらい、この日は最後です。
社労士の方に相談してなにか前途がバァっと旧約聖書出エジプト記のモーゼのように開けた思いがしました。

 

前回まで非常に長かったので今回は短いです。障害年金の申請③につづく。