僕が僕であるために

今日はテレワークでした。コロナ禍ですがうちの会社はずっとテレワークというわけではなく、ハンコを押したり回ってくる書類の受付をするために会社に行っている感じです(だいぶ電子印に変わりましたが)。

家から会社まで車で20分くらいなのですが、テレワークの日は朝仕事を始める前に散歩したり庭の草花の手入れ(水やり程度ですが…)をする余裕があります。

そのときにいつも考えているのが、「脳が縮んでしまったら、僕の認知機能はどうなってしまうのだろう?」ということです。

回復期病院で主治医と一緒にMRIを見たとき、「出血により脳に開いた穴は脳自体が縮んでふさがります」と言われましたし、

TMSで通っている脳神経外科でも「出血した右脳は萎縮します」と言われました。

脳が萎縮?それってものすごくヤバいことじゃないですか!

TMSで通っている脳外科の先生に聞きました。「僕はどうなってしまうのでしょうか?認知機能は?」

先生は「今高次脳機能障害が無ければ今後も大丈夫だと思いますよ。でも右脳だから芸術方面はどうかな?絵の仕事とかされていないんですよね。だったら大丈夫」と言いました。

それは喜んでいいのか悪いのか…CADで図面書いたりする仕事は今もやってますし、美術館巡りやクラシック音楽も好きなのですが。

バーゼルの美術館でハンス・ホルバインの「墓の中の死せるキリスト」を見たときのような、あの凄まじい衝撃はもう無くなってしまう、ということなのでしょうか?

右脳がやられると遂行機能障害(物事を順序立てて処理できなくなる障害)になる人が多いとかで、回復期病院では臨床心理士の先生に遂行機能障害のテストを散々やりました。

その時の見立ててでは、「toroさんは間違えたら戻って考えられるから大丈夫」とのことでした。そのときはそんなものかな、と思いましたが、今思うとそんなのチンパンジーでもバナナを取るときにやってるじゃないですか!

今仕事していても、家庭でも、遂行機能障害による注意は受けていませんが、実際発生していても見逃されているだけなのかも…と思うと背筋が寒くなります。

脳血管障害、というのは認知症の原因の第二位なのだそうです。

僕が僕でなくなってしまったら、どうなるのか。麻痺の改善以上に気になります。同じ病気になったみなさんは気にならないのでしょうか?とりあえず毎日画集(宗教画)を見たりクラシック音楽を聞くリハビリ(?)をすることにします。